仏心とは大慈悲これなり

留萌組  西暁寺  藤 順生


  み仏のおこころはどんなおこころですかと尋ねられたら、皆さんはどのようにお答えになられますか?。
  その答えは「仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)」の中にあります。「仏心とは大慈悲これなり」のご文です。

  慈悲という言葉を昔から浄土真宗のご門徒さんは「茲(こ)の心、心に非ず」と読まれて、み仏様のおこころはみ仏様だけのお心でなく、いつでもどこでもこの私の心と一緒になってくださると喜んでこられました。私
  の悲しみ苦しみをみ仏様の悲しみ苦しみとして下さる、私の喜びをみ仏様の喜びとして下さる。
 なんと有り難いことでしょうか。いつでもどこでも私と一緒して下さるとは、何と力強いことでしょうか。私のもっている慈悲とは限界がありますね。親や子供や兄弟の悲しみが私の悲しみになり得ても、残念ながらお会いしたことのない方や名前も知らない方の悲しみは私のものとはなかなかなり得ません。

  み仏様の大慈悲とは、『一子の如く憐念す』と、ご和讃にありますように、誰に対しても我がひとり子よ、と私と一緒になって下さるお心です。

  私の子供が小さい時、夕食の後居眠りする私の回りでおもちゃの自動車を乗り回し、ひっくり返って食器棚の角に頭をぶつけ、頭の皮膚が3センチ程パカッと開き、血がドロドロ出て、坊守に起こされてすぐに病院に連れて行きました。

  診察室のドアの前で私たちは待っていると、子供の大きな鳴き声が聞こえてきて、母親は涙をボロボロ流してました。診察室から出てきた子供を母親は、力一杯抱きしめながら「痛かったでしょ」と言いませんでした。「痛かったね」と言いました。

  子供の痛みが、そのまま親の痛みとなっているんです。私は「痛かったね」の言葉にみ仏様のお心を教えてもらいました。

  辛いね、悲しいね、苦しいね、と私の心と一緒になって下さる真実のみ仏様に支えられながらの毎日、大事に大切にいたしましょうね。






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