アメリカ同時多発テロとその後に想う

札幌組  浄土寺 佐々木 光明


    9月11日にニューヨークで起こった惨劇は記憶に新しいところです。旅客機が超高層ビルに突っ込み、炎上の後、崩落した映像は瞬(またた)く間に世界へと流されました。それをみたパレスチナの少年たちは銃を振りかざして、歓喜の声を上げていました。

  しかしながら、私達日本人はこの有り様を「けしからんことだ」と人ごとのようにいえるのでしょうか。超高層ビルに旅客機が突っ込む様を見て私は思い起こしたものがあります。それは、旧日本軍の特攻隊です。国のため、天皇のために命を捧げることが男子の本懐であると、「お国のために死ぬ」ことが強制されたのが、かっての軍国主義における日本の人々でした。
  そうしてそうなるように皇民化教育を受け、それに賛同しないものは「非国民」呼ばわりされたのではありませんか。国のために死んで靖国神社に「英霊」として祀られることを国家は国民に奨励し、多くの国民はそれを受け入れました。タリバーンは聖戦において命を捧げることが、アラーの神に召され天国に生まれるすばらしい行為であると、兵士らを鼓舞します。私達が訝(いぶか)しげに見つめる彼らの精神構造と、かっての私達の精神構造と一体どこが違うといえるのでしょうか。そして現代においてその事をどれだけ克服出来たといえるのでしょうか。

  一方で、私達個々人の生き方はどうでしょうか。「自分は正しい」と思って生活していませんか?その思いにいたって生活することによって、「他を非」としていきます。知らず知らずのうちに、相手を切り刻むことにつながっていくのです。そういう生き方が結果的には他を損ない、自らも損なっていくのです。

  仏教はそういった「自分は正しい」という執着から離れていく世界を目指します。「自分が正義」で、「相手が悪だ」と善悪の二極分化をするものではありません。民族同士の対立を煽(あお)るのは仏教のめざす世界ではありません。まして狂言的・盲信的な世界に生き、異なるものを排除してゆくのでもありません。

  阿弥陀如来は「すべての生きとし生けるものよ」と、民族や宗教といったすべての枠を越えて、互いのいのちに響き合うような連帯の世界を目指すのが仏教なのです。
 






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